日本輸入車整備推進協会 代表理事にして、玉野自動車 代表取締役であった平林潔氏が8月15日、食道がんのため亡くなった。享年74歳。
葬儀は近親者のみにて営まれたが、故人を偲び10月8日、妙蓮寺 第一斎場(神奈川県横浜市)でお別れの会が執り行われ、業界関係者を問わず生前携わった多くの方々が参列し、故人に別れを告げた。
会では参列者を代表して3人が弔辞を読み上げ、最後は遺族を代表して会社を引き継いだ平林なつみ社長が感謝の言葉を述べ、故人の残した「単純に交換するのではなく修理するんだ」、「部品がなければ作れば良い」との言葉を胸に社員一同歩んでいく決意を語った。
故人の略歴
平林氏は1951年12月11日に愛知県名古屋市で生まれ、県立瑞陵高等学校から神奈川大学法学部へ進学。1974年に進学塾の数学講師として教鞭を振るった後、1981年、結婚を機に玉野自動車へ入社、自動車整備の世界に飛び込んだ。
持ち前の行動力と誠実な人柄で社をけん引する一方、業界全体の未来にも目を向け、三井住友海上の保険代理店組織から派生した整備技術等の研究組織「ASKnet」の会長を務め、ボッシュカーサービスの活動も国内展開の初期から深く携わってきた。
さらに時代の先を見据えて、2013年、日本輸入車整備推進協会(JISPA)を立ち上げ、代表理事として業界の先頭に立ち、新たな道を切り開いてきた。
一方で、人生を楽しむ達人でもあり、中でも釣りの世界においては、雑誌「釣り情報」のライターとして長年にわたり健筆を振るい、テレビをはじめとするメディアでも広く取り上げられた一面も持っている。
弔辞・日本輸入車整備推進協会 理事 宮内忠雄氏
突然の別れに、いまだに信じられない気持ちでいっぱいだ。出会いは2003年ごろ、四ツ谷での研修会だった。それ以来、同じ自動車業界を歩む仲間として、たくさんの時間を共有してきた。
特に忘れられないのは2009年のこと。独立系整備工場でも輸入車の整備をしっかり行えるようにと、熱い想いを持って輸入車整備ネットワーク「サードステージ」を発起された。
その高い志、理念に深く共感し、私も発足へと駆け抜けた。あの時、一緒に業界の未来を見つめ、情熱を捧げた日々は私の生涯の宝物だ。
仕事を一歩離れれば、遊び心にあふれた、最高におしゃれでかっこいいちょい悪おやじだった。憧れのダンディーな人だった。情熱的で、お茶目で誰からも愛された平林さん。本当にありがとう。
どうかこれからは、天国で大好きな釣りを楽しみながら、ゆっくり休んでほしい。
