今回は、地方の農村エリアで長年にわたり地域を支えてきた自動車指定整備工場(A社)が、M&Aによって事業を次の世代へと引き継いだ事例をご紹介します。
「顧客が困る」――廃業を選ばなかった理由
長い歴史を持つ自動車指定整備工場を営むA社の社長は、後継者のいないまま年齢を重ね、体調面の不安も抱えていました。「廃業も考えましたが、地元客が困る。それだけは避けたい」。周辺に同業者は少なく、工場がなくなれば住民が車検や整備のために遠方まで足を運ぶ必要がある。「地域のインフラを守る」が、M&Aへの出発点でした。
難航した引き継ぎ先探し――3つの壁
引き継ぎ先探しは、想定以上に難航し、壁は3つ重なっていました。1つ目は立地です。商業エリアから離れた過疎の農村部は、承継先にとってエリア戦略上の課題となり、候補先の見送りが続きました。2つ目は財務資料の未整備です。
M&Aに必要な資料を一からそろえる必要があり、現オーナー頼みのため相当な時間を要しました。3つ目は土地の問題です。整備工場の底地がオーナーの個人所有だったため、事業譲渡と並行して土地の売買交渉も必要でした。
譲渡側の課題と承継先の戦略が合致した瞬間
大手への提案が行き詰まる中、業界内のネットワークを通じて、同エリアで鈑金塗装・自動車整備(認証)を営むB社が候補に浮上しました。B社の社長は、成長戦略の一環として「自動車整備(指定)」の認可取得を構想していました。
しかし自力取得には要件・実績の両面でハードルが高く、時間
もかかる。そこへ舞い込んだA社の案件、「指定工場をM&Aで引き継げるなら、これ以上ない話だ」。A社が抱えていた課題と、B社が描いていた戦略が合致したのです。
交渉を動かした、思わぬ縁
交渉が進む中で、思わぬ縁が浮かび上がりました。B社社長とA社の従業員の1人が、同じ高校の同級生だったのです。「まさかこういう形で再会するとは」、その驚きは両社の距離を一気に縮め、条件や数字だけでは測れない縁が双方の背中を押しました。
成約後に待っていた、本当の山場
契約書への署名がそろった後、最も緊張する場面が訪れました。従業員への事業譲渡の告知です。自動車整備の指定工場は、有資格の検査員を一定数確保する認可要件があり、A社の検査員数は、指定認可を維持できるギリギリの体制でした。1人でも退職すれば認可が失われる̶そんな制約の中で、従業員に事実を伝える必要がありました。
A社社長は「従業員を思ってこその決断だった」との思いを語りました。業務内容・処遇・勤務環境に変更はなく、B社社長は「これまで通り、一緒にやっていきたい」と率直に伝えました。告知後も一定期間、幹部とともに毎日A社に足を運び引き継ぎを重ねた結果、従業員全員の残留が決まりました。
「毎日来てもらったことが、何より安心だった」と、従業員の1人が話していたそうです。
この事例が示すもの
難立地・財務未整備・複雑なスキームと、条件だけ見れば厳しい案件でした。それでも成約に至ったのは、譲渡側の「地域のために」という思いと、承継先の自社の成長戦略を重ね合わせることができたからです。M&Aは、大企業だけのものではなく、譲渡側・承継側それぞれが自社の課題と正直に向き合った時、思わぬ形で道が開けることもあるのです。
(筆者プロフィール)
長谷川章義 株式会社フォーバル
信販会社の新規立ち上げに携わった後、独立して国内外に法人を2社設立。約9年間にわたり、経営者としてEC事業、医療事業、自動車事業などを展開。現在はフォーバルの事業承継支援部で、中堅・中小企業の次の一手をサポートしている。