今回は、千葉県南部で70年以上にわたり地域の車を守ってきた指定整備工場A社が、事業譲渡によって同業のB社へ工場を引き継いだ事例です。社長は72歳。ご子息は1級整備士の資格をお持ちでした。それでも第三者への承継を選んだ理由と、指定工場ならではの引き継ぎの難所をお伝えします。
資格はある。それでも継がない
A社は戦前の創業。現社長は自衛隊を経て家業に戻り、40年以上現場に立ってきました。年間の車検入庫は約150台、うち3分の1は2~4トントラック。下回りに錆止めを吹いてから作業する手間を惜しまず、同業者からの持ち込みが売り上げの半分以上を占める工場です。
ご子息は1級整備士の資格を持ちながら、実務が肌に合わず別の道へ進んでいました。親族以外の社員は2人、うち1人は高齢で引退予定。親族内で継ぐ道を1つずつ確かめた上で、72歳の社長は第三者への承継に踏み出します。事業承継・引き継ぎ支援センターからの紹介が、そのきっかけでした。
周囲では同業の廃業が続いていました。閉めた後の建屋はそのまま残り、車検の依頼だけがA社に流れてくる。「うちが閉めれば、また一つ空き工場が増える」。工場が一つ消えるたび地域の車が行き場を失っていく、その現実を見続けてきたことが、廃業ではなくM&Aを選ぶ決め手でした。
指定は譲受側が申請し直すしかない
マッチングはピンポイントでした。B社は過去に複数の案件を紹介してきた先で、当該エリアで整備工場を探しているというニーズを、私たちが前々から把握していたからです。整備士は自社から回せる。
足りないのは指定工場資格を持つ拠点と検査員、B社の課題と、A社が手放そうとしていたものがそのまま重なりました。
ただし、ここからが本番でした。指定は工場ではなく事業者に与えられるため、会社ごと動く株式譲渡と違い、事業譲渡ではそのまま渡せません。A社が指定の廃止を届け出て、同じ工場でB社が新たに指定を申請し直す。この2つを同じ日に成立させる必要がありました。
審査には原則45日を見込み、事業場管理責任者と検査員が入れ替わらないことも条件です。振興会とも並行して動き、譲渡実行日と指定の切り替えを1日もずらせない日程を組みました。
土地と、社長の本音
社長の自宅は工場の奥にあり、法人所有の土地を通らなければ道路に出られませんでした。「工場の土地が転売されたら、通行でもめないか」。この不安には、土地を分筆した上で通行のための地役権を設定して応えました。株主である社長個人の税務対策も、専門家と並走して整理しています。
交渉の主役は金額ではありませんでした。技術者らしい頑固さもある社長です。奥様と長女を交えて何度も対面で話を重ね、双方が納得する形に落ち着きました。社員の雇用は継続し、社長も半年ほど現場に残って引き継ぐ条件です。
廃業を選べば工場は静かに消え、承継を選べば検査ラインも顧客も地域の足も残ります。指定や認証の引き継ぎ、土地、税務と論点は多く、A社も受託から譲渡実行まで半年を要しました。
裏を返せば、手順が決まっている分だけ先は読めます。早く動き出すほど選択肢は多く、準備を整えながら進められます。A社が納得のいく形に辿り着けたのも、その時間があったからです。
(筆者プロフィール)
長谷川章義 株式会社フォーバル
信販会社の新規立ち上げに携わった後、独立して国内外に法人を2社設立。約9年間にわたり、経営者としてEC事業、医療事業、自動車事業などを展開。現在はフォーバルの事業承継支援部で、中堅・中小企業の次の一手をサポートしている。