今回は、首都圏で複数の自動車関連事業を展開するY社が、特装車製作のK社を譲り受けた事例をご紹介します。この案件からM&A成功の本質が見えました。
20社が競った優良企業
K 社は特装車の設計・製作を専門とする企業で、独自の技術力と顧客対応力で地域から高い評価を得ていました。財務内容も健全で、社員教育に力を入れてきた実績が光ります。譲渡の話が持ち上がると、20 社を超える企業が関心を示しました。
Y 社の現社長がK 社に惹かれた理由は明快です。「顧客の声に真摯に耳を傾け、使い方まで考えた提案ができる。K 社だからこそ実現できるものづくりがある」。技術だけでなく、顧客に寄り添う姿勢に共感を覚えたといいます。
前社長の「志半ば」に共感
K 社の前社長は、長年にわたり組織づくりに情熱を注いできました。社員の意識改革を促す研修制度、第三者認証の取得、体系的な技術教育――。次なる一手として考えていたのが、業務のデジタル化でした。
ところが、体調面での問題が生じ、事業継続を断念せざるを得なくなります。「やり残しのある中、どれほど悩まれたか。社員のことを思うと、何とか力になりたいと感じました」。Y 社の現社長は、前社長の無念さを我がことと受け止めました。
実は、Y 社も同時期にグループ内の一事業を譲渡する準備中でした。しかし前社長から話を聞き、社員の状況を知るうちに、「このタイミングを逃したら、K 社にとって最善の選択肢がなくなるかもしれない」という思いが強くなったといいます。
選ばれた理由は「想いへの共感」
M&A 成立後、現社長が初めてK 社の社員と顔を合わせた時、強い印象を受けました。「学ぶ姿勢が自然と身についている。物事を深く考える力を持った人たちだ」。前社長が育んできた組織文化が、しっかりと浸透していたのです。
「前社長が目指したことを実現するのが、私の責任だ」。譲受後、現社長が真っ先に取り組んだのは、前社長が構想していたデジタル化でした。受注から納車までの原価管理システムの構築に着手。志半ばだった前社長の計画を、動かし始めました。
同時に、休日の増加や給与改善など、働く環境の見直しにも乗り出しました。「地域で選ばれる企業」を目指すには、社員が安心して働ける土台が必要と考えたのです。
譲渡側が重視した「人柄」
20 社以上の中からY 社が選ばれた背景は、前社長の判断基準でした。条件面だけでなく、「この人になら社員を託せる」という確信です。現社長の「社員を大事にする姿勢」と「前社長の想いに寄り添う誠実さ」が、最終的な決め手だと思います。
現社長は今、グループ全体でのシナジー創出を目指しています。「地域のモビリティを支える存在として、製作からメンテナンスまで一貫して貢献したい」。さらに「特装車をつくる仕事を地元の子どもたちに知ってもらいたい」と、次世代に向けた認知活動にも意欲を見せています。
M&Aは「人」で決まる
この事例が示すのは、M&A が「人と人との信頼で成り立つもの」だということです。前社長が大切にしてきた教育、実現したかった未来を、新しい経営者が真摯に受け止め、形にしていく――。
競合が多い案件ほど、譲渡側は「誰に任せるか」を慎重に見極めます。価格や条件以上に、「この人になら託せる」という確信が、M&A 成功の鍵を握っているのです。
(筆者プロフィール)
長谷川章義 株式会社フォーバル
信販会社の新規立ち上げに携わった後、独立して国内外に法人を2社設立。約9年間にわたり、経営者としてEC事業、医療事業、自動車事業などを展開。現在はフォーバルの事業承継支援部で、中堅・中小企業の次の一手をサポートしている。